全国外语翻译证书考试日语一级笔译
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第一部分:日译汉
考试时间:
180 分钟
次の
3 つの文章を中国語に訳しなさい。なお、訳文はかならず解答用紙に書きなさい。
文章
1
―
初心忘ルベカラズ 世阿弥『花鏡』
山崎正和は
?
変身の美学?にこの?有名な教訓?を次の如くもっとも適切に解釈している。
世阿弥のこの遺訓は
?
けっして初心のまじめな覚悟や情熱を忘れるなという道徳的な教えではない。むしろ初
心の芸がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘ぜよという忠告なのであ
る
?。
すなわち世阿弥の言葉を現代語に置き直せば以下の如くになる。
?
ところで上達の過程を自覚できないでいるときは?また自分の芸が初心の段階に逆もどりしていることにも
気がつかない。そうして初心の芸に逆もどりするということは、すなわち能が退歩することにほかなるまい。
したがって
?初心の芸を忘れまいと工夫するのは、とりもなおさず?現在の自分の芸境を見失わないためにする
のである。かえすがえす、初心の芸を忘れれば
?
初心の段階へ退歩するという道理を肝に銘じておかねばなら
ない
?。
厳しさの極を行くこの指摘を、山崎正和は次のように評する。
?たんに習道者の怠慢をいましめる言葉としては、これはいささか残酷すぎる教訓だといわなければならない。
現在の芸の水準を維持するために、世阿弥は美しい未来の夢よりも過去の醜悪な姿を思い出せと奨める。かり
にどれほど美しい表現効果がつくられたとしても、それは一瞬の成功によってかすめとられる奇蹟の産物にす
ぎない。かたときでも緊張をとけばそのすぐ裏側に、人間本来の不器用な姿がいつでも顔を出そうとして待ち
かまえている。現に壮年になり老年になるごとに、鍛えられた肉体もくりかえし新たな不適応状態に遭遇する
ほかはない。世阿爾はそれを〈時々の初心〉〈老後の初心〉と呼んで、そのときの苦しい格闘の成果を忘れる
なと強調するのである。ある意味で、美しい芸はつねに〈初心〉の不安のもっとも鋭いときにうまれ、いいか
えれば醜い不適応状態と背中あわせにこそうまれるのだといえる?。この機微に気付かずあるいは忘れた時、
能に限らず人生のすべては下降線を辿るのである。
文章
2
食在中国
年をとると、食べることに執着してくる。あと、何回飯を食えるのか。指折り数えるとまではいかないが、
日々の楽しみのひとつが食事である。
「食」といえば、中国は本場である。「
4
本足で食べないのは机だけ」と言われるほど中国の人々は食い道楽
である。おかげで、中国に滞在していた折、奇妙なものまで口に入れる幸運に恵まれた。
どこに行っても、「野味」という看板にぶつかる。カエルやヘビ、タヌキ、ハトなどが檻の中で出番を待って
いる。上海の知人にお呼ばれした時に、カエルとヘビが出た。カエルは鳥肉のようにサクサクとして美味だっ
た。ヘビは空揚げで、細長いせんべいのように見えた。我が家の家系はどうもだまされやすいようだ。小学生
の息子は当時、足が速くなりたくて仕方なかった。同席した日本人の友人に「ボク、これを食べると足が速く
なるよ」と言われてコロリだった。パクパクとたくさん口にした。その甲斐があったのか、運動会では堂々2
位だった。
サソリを初めて体験したのは山東省でだった。この地方の特産で、サソリの養殖で大もうけした「サソリ大